「中国の文明って何があったの?」
「中国の文明にまつわる都市伝説はあるの?」
「中国文明にまつわる都市伝説が知りたい。」
と思い、この記事を読んでいる方は多くいるでしょう。
中国4000年の歴史。このフレーズにあるように中国の歴史は日本文明よりも長きに渡り発展してきました。
そのため、いまだ謎に包まれていることや公になっていないことが多く存在していることでしょう。
今回は、そんな中国文明の文化や偉人にまつわる都市伝説を解説していきます。
日本人にはあまり知られていない都市伝説を紹介していくので、最後までご覧ください。
三国志の武将で1番好きな人誰?
んー、曹操かな!
曹操なんだね!理由とかあるの?
事実上、魏を建国した人だし、なんかカッコよくない?笑
曹操の最期って知ってる?笑
都市伝説ではあるけど、知ったら好きな武将変わるかもね。
中国文明にまつわる都市伝説6選
中国の歴史は長く、多くの戦乱を経て、現在の中華人民共和国となっています。
長きに渡る歴史・戦乱は、さまざまなストーリーがあり、数多くの映画などの作品の題材として取り扱われてきました。
ここでは、数多くの作品に取り上げられている中国文明の歴史の中から、日本人にあまり知られていない都市伝説を紹介します。
文化にまつわる都市伝説から偉人にまつわるものまで幅広く紹介していくので、参考にしてくださいね。
中国文明の文化にまつわる都市伝説
まずは、中国文明の文化にまつわる都市伝説を紹介していきます。
ここで紹介する都市伝説は以下の3つです。
- 呂雉(りょち)によって広められた『人豚の刑』
- 武士の死亡理由TOPにトイレがランクイン
- 色白細マッチョがモテていた
それぞれ解説していきます。
呂雉(りょち)によって広められた『人豚の刑』
人豚(ひとぶた)の刑とは、個人的なみせしめであり、実際の刑罰では採用されませんでしたが、あまりにも酷い方法のため、具体的な内容が世界へと広まりました。
人豚の刑の具体的な内容は、
- 四肢切断
- 目をくりぬく
- 喉を潰す
- 生きたまま樽に入れる
- 豚便所に放置
上記のような流れで刑が実行されていました。
実刑になると、歩いたり、物を見ることだけでなく、話すことすらできなくなってしまいます。
当時の中国の住宅は、糞尿の処理を豚に行わせるために、1階が豚小屋、2階がトイレという構造になっていました。
四肢切断だけでは、すぐには死なないため、1階の豚小屋に投げ込んでいたのです。
この人豚の刑は、中国三大悪女のひとり『呂雉』によって考案されました。
呂雉が考案した後、権力者に逆らったものは積極的に人豚にされていたそうです。
2階から落とされた罪人は、死にたくてもすぐに死ぬことができず、豚のようにうめいている姿を楽しく鑑賞していたのだとか。
武士の死亡理由TOPにトイレがランクイン
中国文明が戦乱の世となっていた頃、もっとも活躍したのが実際に戦場で戦っていた武士です。
中国文明の屈強な武士は、今でも映画・漫画・ゲームと多岐に渡りモデルになっていますよね。
屈強な男のイメージが強い中国の武士ですが、実はもっとも多かった死亡理由は、トイレでの転落死だったんです。
上記で紹介した通り、水洗トイレがなかった中国文明では、豚小屋に糞尿を落とし、糞尿を餌に家畜を育てていました。
2階で用を足していた武士たちの多くは、トイレ後に誤って便器から1階に落ち、死亡していたということなんです。
いくつもの苦難を乗り越えてきた屈強な武士たちも、トイレで用を足したあとは、リラックスして油断してしまったんですね。
あなたが好きな中国武将も、実はトイレで死んでいたのかもしれません。
色白細マッチョがモテていた
中国文明では、歴史に残る戦いが数多く行われ、数多くの武将が誕生していました。
しかしながら、戦場に出ていた武将には悩みがあったそうです。
悩みとは、女性にモテないということ。なんだか現代の男性とも似通った悩みですよね。
当時の中国では、色白細マッチョが女性からの人気を博していました。
なぜなら、色白細マッチョは戦場に行かない貴族に多く、色白細マッチョ=高貴な存在となっていたからです。
常に戦場で戦っていた武士は、肌は日に焼け黒く、体は筋肉によって大きくなっており、理想の男性像からほど遠かったんですね。
今も昔も、日本でも中国でも、男性の本質は変わらないということです。
中国文明に影響を及ぼした偉人の都市伝説
中国文明の文化にまつわる都市伝説はいかがだったでしょうか?
ここからは、中国文明において名を残した偉人にまつわる都市伝説を紹介します。
紹介していく都市伝説は以下の通りです。
- 三国志の英雄『曹操』は虫歯に負けた
- 始皇帝はいまだに遺体が見つかっていない
- 世界三代美女『楊貴妃』は日本で暮らしていた
それぞれみていきましょう。
三国志の英雄『曹操』は虫歯に負けた
曹操は、三国志で有名な三国時代に活躍した武将のひとりです。
事実上、三国のうちのひとつ『魏』を建国した人物で、政治家や詩人、兵法家としても功績を残しています。
しかし、曹操を悩ませ、死まで追い詰めたものは意外なものだったのです。
その正体は虫歯でした。
数多くの功績を残し、一国を作り上げた偉大な武将を死に追いやった原因が、今では簡単に治療できる虫歯だったと言われています。
三国時代に歯ブラシがなく、武将を含む、武士の多くが口内環境の悪化に悩み、困っていたようです。
曹操は頭痛持ちで有名でしたが、実はこの頭痛の原因も虫歯だったのではないかと言われているんですね。
当時の中国に歯ブラシがあり、口内環境が保たれていたら、歴史が大きく変わっていたかもしれませんね。
今では、100円前後で変えてしまう歯ブラシですが、時代を変えるだけの力を持っていたといっても過言ではないのです。
始皇帝はいまだに遺体が見つかっていない
人気漫画『キングダム』のモデルにもなった秦の始皇帝は、中国文明の中ではじめて中国を統一した人物です。
中華統一後、亡くなった始皇帝ですが、お墓はとんでもなく豪華で、72万人もの部下たちによって、39年もの歳月をかけて建設されたと言われています。
お墓にある8,000体の兵馬俑は、誰もが一度は歴史の教科書などで見たことがあるでしょう。
しかし、世界遺産にも登録されている始皇帝のお墓ですが、建設から2000年以上たった今でも全貌は把握できていません。いまだに始皇帝は発見されていないのです。
発掘が進まない理由として、
- 掘り起こすと崩れる危険性がある
- 水銀にあふれており進めない
- 掘り起こす際に空気に触れ遺品がダメージを受ける
などが挙げられています。
最近で技術が進み、スキャンなどして全体の把握を試みていますが、全貌はいまだに把握できていないのです。
しかし、スキャン技術を用いた結果として、地下部分に動く物体を捉えたという発表がされています。
数千年もの間動き続けている謎の物体、姿が発見されていない始皇帝の遺体、いまだに謎が多く、仮に解明された場合は、歴史が大きく変わるかもしれませんね。
世界三代美女『楊貴妃』は日本で暮らしていた
世界三代美女の1人である楊貴妃には、多くの謎があり、都市伝説が噂されています。
楊貴妃の最大の謎は、亡骸がどこにも見当たらないということです。
楊貴妃が皇妃だった唐は、安史の乱という反乱によって、国が滅ぶことになりました。反乱の際に楊貴妃以外の皇族は全て亡骸が確認され、死んだことが証明されたのです。
しかし楊貴妃だけ亡骸を見つけることができず、その後の姿を見たものはどこにもいませんでした。
実はこの時、楊貴妃だけ日本に逃亡していたという説があります。反乱が起きる前に楊貴妃だけ国外に逃亡させており、命が助かっていたというのです。
実際に、日本には楊貴妃を祀っている場所があったりと、辻褄が合うことが多いんですね。
楊貴妃は日本に来て、結婚し子供を産んだそうです。仮に本当であれば、今もなお楊貴妃の子孫は日本にいる可能性が高いということになります。
あなたの家系図を辿っていくと、楊貴妃との繋がりが見えてくるかもしれないですね。
まとめ
今回は中国の文明にまつわる都市伝説を紹介してきました。
『中国4000年の歴史』というフレーズがあるように、長きに渡る歴史がある中国では、いまだに解明されていない謎が多く存在します。
これからの調査次第では、いままでの歴史を大きく変えてしまう新情報が見つかるかもしれませんね。
噂程度の都市伝説でも、本当に真の歴史である可能性は高いといわれています。
引き続き中国文明からは目が離せませんね。